自己紹介とブログを始めた経緯

その他

初めまして!

  • 東京と北海道でソーシャルゲームの開発を4年半くらい
  • 北海道でソーシャルゲームの運営を1年
  • 北海道中心でコンシューマーゲームは不定期にやって1年くらい

トータルしたら、約6年と半年くらい仕事をしていた鶴(つる)と申します。

ペルソナ、ルーンファクトリーとストーリーやキャラクターに魅力を感じるようなゲームが好きです。

そして自分が楽しいと思うような仕事をしたいという思いから、ゲームプランナーの仕事をしておりました。

鶴を知ってもらうため、今までしてきた仕事の経歴をざっくり語る

出身は自然豊かで、魚も美味しい北海道です。

鶴は高校卒業後、専門学校に通いながらゲームプランナーとして採用されるよう就職活動をしておりました。

ですがその当時、北海道(ましてや新卒)で雇ってもらえる会社が少なかったため、最初から東京か大阪で、ソーシャルゲームの開発プランナーとして働くことを考えてました。

最終的に東京でソーシャルゲームの開発プランナーとして仕事を見つけることができたのです。

ですが、運悪く社長のいる席や営業の人に囲まれた席になってしまったため。

  • (役に立たなかった)社長のアドバイスや気分で無意味な仕事を振られる
  • 電話番させられて、昼休みの時間が不定期または存在しなくなる
  • 社長と現場の人たちとの口論にしょっちゅう巻き込まれて仕事に集中できない

 

鶴(つる)
鶴(つる)

深夜残業(終電で帰れれば良い方)・土日出社は当たり前☆

さらに、これらは全てサービス残業だった……

 

それでも当時、親にも周りに聞き飽きたと思うほど言われ続けた「最低3年は働け精神」で、頑張って2年働いたわけですが。

職場環境劣悪・完全ブラック会社でついに心と身体が壊れ、地元(北海道)に帰ったのです。

これが鶴の初めての退職であり、第二新卒がはかなく終わった時代でした。

ゲームプランナー2年目にしてフリーランスで活動開始

地元(北海道)にリターンして、数か月休みをとりました。

しかし少しずつ回復していくと。

  • お金を稼がないと生活ができない
  • 鬱のままだと家族に何か悪く言われると不安を感じた
  • 親に反対された仕事で身体を壊しているから文句を言われたくない

という理由で、フリーランスとして活動を始めたのです。

そこで運よく短期契約でコンシューマーの開発のお手伝いを見つけることができました。

ですが、鬱はまだよくなってなかった状態だったのです。

短期契約した職場で過去のトラウマがフラッシュバック!

そして、過呼吸に陥って数時間仕事ができない状態になったのです。

無論、このことが原因で次の契約はおじゃんになってしまいましたとさ……w

 

その後、環境を変えようとゲーム開発からゲーム運営に方向転換を試みました。

正社員として採用されましたが、インターン先で再び過去のトラウマがフラッシュバックしてしまい、インターン先から本社に戻されたのです。

そこから鬱を何とかしないといけないと初めて気づき、心療内科の病院に通いながらも仕事を続けていました。

ですが迷惑をかけた罪悪感と職場の人との人間関係で嫌気が差したため、僅か1年で退職しました。

これが正社員として始めた働いた2~3年目の鶴です。

3年目でゲーム開発に戻る。5年目で正社員に再びなる

次の仕事はゲーム開発に戻れたら戻ろうかなと悩んでいたところ、昔の仕事仲間から声をかけてもらったのです。

そこではソーシャルゲームの開発を行っていた会社のため、ある意味慣れている仕事ではありました。

ですがそこの会社はゲームプランナーはいるものの、新卒や開発経験の浅い人たちしかいなかったのです。

最初はフリーランスの契約の内容で仕事をしてましたが、新卒や開発経験の浅い人たちにゲーム開発の知識やスキルを身に着けてもらわなければ会社としても自身も成長しません。

そのため空き時間などに鶴が今まで役に立ったゲームプランナーの知識やスキル・使っているツールの便利な機能などを教えてました。

ちょうどそのころでゲームプランナーとして働き始めて5年目くらいです。

6年目は働き方に違和感を感じていた

ゲームプランナーとして働き始めて5年目が過ぎた頃、会社の人に正社員で働かないかと聞かれました。

そろそろ腰を落ち着けて働ければと思っていたので快諾しました。

 

鶴(つる)
鶴(つる)

ですが、ここから苦しい時期の始まりだったかと今は思います……

 

中間管理職をやろうとしていた人が突如退職に。

自分の担当している仕事が結構忙しい中で、そのせいで突如慣れない中間管理職をやる羽目になります。

慣れない中間管理職の仕事は、とにかく時間がかかります。

さらにまだ自分以外にも仕事をできるようにする指導を後輩を指導しないといけません。

その間は鶴も作業員として働きつつ、後輩たちに質問攻めにされる。

さらに上司からは急なスケジュール変更や問題発生でスケジュールの組み直し。

会議等に参加もしないといけないため、自分の仕事をする時間が8時間では足りなくなりました。

そうなると毎日少しずつ残業しないと対応できなくなり、ついには祝日や土曜日など出勤をしていくようになったのです。

そんな働き方をして、なぜ自分ばかりがそんな働き方をしなければならないのかと苛立ちを感じた頃でした。

ちょうどゲームプランナーとして働き始めて6年目くらいです。

6年目半で会社を解雇される

無理をするような仕事をしてから1年半くらい。

ゲームプランナーとして6年半が経ったころ。

仕事に対する不満が天罰を与えてくれたのか。

はたまた新型コロナのせいか。

それとも運営しているタイトルが赤字になったせいなのか。

鶴を含めた社員は会社から解雇されました

身を削ってまで働くのは、もうしたくなかった

解雇された後、社内の人たちは次の職を探そうと活動をしていましたが、鶴はどこか他人ごとになっているのです。

理由としては今までの働き方について思い悩んでいたからです。

  • 責任ばかりが増えてストレスしか感じない
  • 働くほど多忙になるばかりでプライベートが減る
  • 評価はある程度されるようになったが、実際の働きと見合わない
  • 仕事で繋がっていった人間関係も複雑になるばかりで息苦しく感じる

というようなことを悩んでいる鶴は悲しいことに気付いたのです。

 

鶴(つる)
鶴(つる)

こんなことばかり続くなら……

もう、ゲーム業界で働きたくない。

 

こうなってはゲーム業界で働き続けるのは難しいだろうと思いましたが、ある意味ではいいタイミングであったと思います。

仕事がないなら、好きなことで仕事をしよう

自分が楽しいと思うから、ゲーム業界で楽しく仕事をしていたはずなのに苦しい。

この思いに気付いてからが今後何を仕事に働けばいいのかわからず、思い悩みました。

信じていたものに裏切られたような絶望感。

何の仕事をすればいいのか考えがまとまらない!!

時間が過ぎればあっという間に無職になるというのに……

と焦りと不安がいっぱいで数日ほど悩んでましたが

 

 

鶴(つる)
鶴(つる)

“仕事が忙しすぎて、できなかったことをやればいいんだw”

 

とマイナスからプラスに考えたら、ある意味チャンスに思えたのです。

考えてみたら全て「仕事が忙しいせい」でやりたいことができなかった。

だから大きな問題から、ついに解放されたんだと。

鶴は今までできなかった「ブログ」をやればいいんだと気づいたわけです。

とは言ったものの何を書けばいいんだろうと悩むわけですが、過去の自分が答えをちゃんと見つけてくれていました。

後輩から先輩になった今だからこそ

“今度は鶴が先輩になって教える番だよ”

後輩に仕事を振って、管理をするようになった今の鶴に昔の鶴が語り掛けてくれたように思いました。

今までは先輩やベテランの方々に教わり、仕事をするばかりでしたがもう違います。

鶴にも後輩ができ、仕事を教える立場になりました。

また仕事を依頼する側にもなっています。

つまり仕事を理解しているため、ゲーム業界を目指す人にアドバイスができるのです。

ゲーム業界を目指す人向けに鶴が必要な情報をまとめていたら、その人が見つけた時ゲーム業界に就職できる率がアップされる。

その人が無事就職できたら夢が叶って嬉しい。

鶴も役に立てて心が満たされる!

なんと素晴らしい好循環でしょう!!

このことに気づいた鶴は一気にやる気が満ち溢れました。

そしてネットの力を借りて、ブログ運営を始められたのです。

さいごに

と長くなりましたが鶴の仕事の経歴、ブログ運営の経緯です。
ゲーム業界に就職してから様々な方と仕事をする機会が多く学ぶことがたくさんありました。

これからも学ぶことはまだまだありますが、今まで学んできたことはゲームプランナーを目指す人に役立つと鶴自身は信じてます。

鶴がゲーム業界で働けてたのは誰かに教えてもらって、教えたからこそ成長できたのだろうと。

だから今度は教える側にも寄り添ってゲーム業界を目指す方へのサポートをできればと思ってますので、今後長く見守ってもらえると嬉しいです~

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